学生なら誰しも思うことだと思いますが…
「なんで数学なんか勉強するの!?数学なんてできなくても生きていける!」
「日本人なのになんで英語できなきゃいけないの!?」
全ての科目にはちゃんと勉強する意味があります。
学校や塾の授業ではちゃんとアナタに伝わっていないだけです。
「これを機に勉強を頑張りなさい」などと言うつもりはありませんが、「だからこの科目を学校で習ってるのか~」と思っていただければ幸いです。
数学
嫌いな人が多い印象が強い科目の1つです。実際、数学のレベルでなくとも、四則演算(+-×÷)ができれば生きていけます。
なぜなら、数学が発展しすぎてみんなが難しい計算をしなくても生きていける世の中になったからです。
機械は全て数学が支えている
まず、数学がなければ位置情報はありません。自分がどこにいるのか、スマホやカーナビで確認することは不可能です。
GPSは、物理学の範囲ではありますが、実は一般相対性理論と特殊相対性理論に基づいた、GPS衛星と地表の時間の流れのズレを計算した上で位置情報を取得しているシステムです。
もちろんその計算には数学が用いられており、この計算がないと位置情報は何kmもズレてしまい、使い物になりません。
そもそもスマホを作ることもできません。ロボットが電子基盤を作ることもできませんし、ソフトやアプリも作れません。機械を制御する道具として数学が用いられているからです。
年収が高い人のほとんどは数学ができる
年収が高い人はどういった仕事をしているでしょう?
IT社長?コンサルタント?弁護士?
これらの職種に共通していることは「確実に利益を出している」ということです。
確実に利益を出すには綿密な計画や確実・迅速な計算が求められます。数学ができなければこういった職業で活躍するのは難しいでしょう。
頭の回転が速くなり、長期的思考ができるようになる
数学といえば論理的思考力、ということをよく聞きます。ですが、数学を極めるということは、論理的思考力を極めるだけではありません。数学ができるようになると未来を予測することができます。
数学の問題を解くときは、「この公式を使えそう」とか「ここの角度が求められそう」といったような予測をしながら進めます。
数学が得意になるとは、この予測が的確に、そして瞬時にできるようになるということです。数学の問題に限らず、身の回りの物事を予測するときに様々な可能性を考えながら仮説を導くことができるようになります。
つまり、数学ができるようになると長期的な思考が身につきます。
自分の将来や社会の移り変わりを想像するのが楽しくなります。
学校では、先を見通す力や綿密な計画を立てて、それを実行させる力を”数学”を使って教えているのです。
国語
現代文
現代文は大きく分けて、小説・論説・随筆から構成されています。現代文の科目に関わらず、現代目にする文章の多くは、もちろん現代人が書いたものであり、どれも筆者・作者の思惑に沿った表現方法で書かれています。
現代文の問題で「筆者の考えを述べよ」という設問があります。
これは、「文章を書いた筆者の思惑はなんですか?」という風にも捉えられます。
大人になると他人が書いた文章に触れる機会が増えます。企画書や契約書などもそうですし、メールのやり取りも多いでしょう。
それらの文章を読んだときに、内容を瞬時に理解して、書いた人の思惑が読み取れなければ、コミュニケーションがうまくいきませんし、はたまた騙されてしまうかもしれません。
現代文を学ぶことで、相手がどんな意図・思惑があって表現を選んでいるかを読み取ることができます。
古文・漢文
古文と漢文は「なんのためにやるの?」と思う人が多いのではないでしょうか。数学ができる人や英語ができる人などはよく聞きますが「得意科目は古文・漢文です!」という人はあまり聞いたことがありません。
ところで、アナタは歴史の教科書に書いてあることを信じますか?もしかしたら、国の偉い人が情報操作して都合のいいように改ざんしてるかもしれません(恐らく、少なくとも日本では大丈夫だとは思いますが…)。
しかし古文や漢文は、当時生きていた人の「実際の意見や声」です。古文や漢文の著者は全員亡くなっているため、直接話を聞くことはできません。ですが、文章でなら話を聞くことができます。
また、ことわざや故事成語には古文や漢文が起源のものが多く存在します。「矛盾」や「泣いて馬謖を斬る」などが有名でしょうか。
人からことわざ等の意味を聞かれた時に、その起源まで説明できたら説得力が違います。
古文や漢文が起源になるものはそれ以外にも日常生活にあふれています。それらを説明できれば、もしかしたら物知りという形で信頼してもらえるかもしれません。
つまり、古文・漢文を学ぶことで、過去の人物の話を聞くことができて、当時の詳細な文化を知ることができ、普段の発言に説得力が出ます。
理科
化学
化学は、原子・分子の性質から現実で起きる様々な現象を説明してくれます。
一番身近なところでは、飲食に関わる部分でしょうか。料理はまさに様々な化学反応から生まれているものです。
料理でなくとも、世に出回っている商品などに関してでも、化学的な知識があればある程度は判断をすることはできます。
例えば、健康飲料として話題になった「水素水」という商品がありましたが、化学の基礎的な知識があれば、水素はほとんど水には溶けない、なんてことは分かります。実際に、工場などで水素を水に溶かしたとしても、容器のフタを開けた瞬間に、水素はほとんど空気中へ逃げてゆき、ただの水になります。
一方で、炭酸水は二酸化炭素の水溶液ですが、その二酸化炭素も比較的水には溶けにくい気体です。
それでも炭酸水についてはフタを開けても、即座に二酸化炭素が抜けてしまうわけではなく、実際にしばらく炭酸の刺激が残ります。
しかし、「極性」という観点で水素と二酸化炭素を比べてみると、二酸化炭素の方が水素よりも水にはるかに溶けやすく、実際に溶ける量で言えば50倍近い数字となります。二酸化炭素と水素を、水に対する溶解度で同じように扱うことはできない、ということが分かります。
つまり、化学を学べば、自分が口にするかもしれないものをはじめとして、世に出回っている商品がいかなるものなのか見極めることができます。
物理
物理は、ものが動いたり電気が流れたりしたらどうなるかを計算する学問です。
例えば、運動エネルギーは、
\(K=\frac{1}{2}mv^2\)
と表されます。Kが運動エネルギー、mは質量、vは速度です。
速度や質量が大きければ、エネルギーが大きくなるのは感覚的に想像はつきますが、しかし、この式のミソは速度が二乗になっている点です。
例えば、2tの一般車と、荷物を積んで4tのトラックが同じ速度で走行していた場合、後者の方が2倍の運動エネルギーをもっていることになりますが、前者が時速60km、後者が時速30kmと、速度に違いがあった場合は、前者の方が運動エネルギーが2倍ということになります。
まぁ、車に轢かれたときの危険度の想定をしても仕方がないかもしれませんが、それに限らず運動エネルギーの感覚を持っておくことは重要と言えるでしょう。
また、電気についても同様です。普段電気を使わない生活をしている方はいないでしょう。
電気代の計算をする時も、ワットの公式を理解していれば簡単にできます。
使用する器具の電圧と電流を乗じて使用電力(ワット)を計算し、使用時間をそこにかければWhが出ますから、それに電力単価をかければよいのです。
このように、自分の身の回りにあるものに常に物理は関わっていると言えます。
生物
ダイエットしたいと思ってるなら、家庭科と併せてまず学ぶべき科目です。
『人間は何をエネルギーに動いてるのか』、『どうやったらリバウンドせずに痩せられるか』を理解することができます。
実際にどのような食事を取ればいいかなどは、家庭科の分野なのですが、どの栄養成分をどれだけ取ればいいかなどは生物の分野です。ダイエットに興味がない人でも、健康寿命を延ばしたい人は自分の体の仕組みを理解してもいいかもしれません。
つまり、生物を学ぶことで、自分が食べた食事や運動がどのように体に作用して、健康な体にいられるのかを理解することができます。
地学
地学は、自分が今、立っている地面のことを学んだり、地球から離れて宇宙について学んだりする科目です。
日本は地震大国ですよね?それは、日本列島が複数のプレート(岩盤)の繋ぎ目の位置にあり、そのプレートが大きく動くことで地震が起きます。地震や津波が起きやすいところを調査して、より安全なところに住むという選択ができます。
実は、日本の地面って世界的に見てかなり特殊だということをご存知でしょうか?
日本列島は、元々非常に大きな大陸(パンゲア)の一部で、(ミルフィーユを薄く切る様に)層になっていた部分が剥がれて、さらに剥がれたものがいくつも折固められてできたのが、日本列島です。そのため、日本の地面を深く掘れば掘るほど、地層が積もった時代が古くなるというわけではないのです。
このようなことがあり、日本の地面は世界中の研究者にとって注目の的になっています。
また、宇宙のことに詳しくなれば、空に見える星についても説明できる様になります。流れ星って何なのか、天の川って何なのかなど説明できたらロマンチックじゃないでしょうか?
つまり、地学を学ぶことで、災害から逃れやすい場所を自分なりの根拠で探すことができ、星空の下でロマンチックに星の話をすることができます。
社会
歴史
歴史は言わずと知れた暗記科目です。歴史が嫌いな人は『なんで過去を覚えなきゃいけないの?私は現代を生きているの!』と言う人が多いのではないでしょうか。
1つ例を挙げましょう。
例えば、お金。今、日本で使われているお金は紙幣と硬貨の2種類です。
よく考えてみてください。紙幣には、¥1,000札, ¥2,000札, ¥5,000札, ¥10,000札があります。
ですが、これらは全てペラッペラの紙です。ペラッペラの紙を渡すことで食料品が買えたり、人を雇ったりできます。こんなものがお金として成り立つのか!?と思いませんか?
紙がお金として認められ、使われるようになるには、長い歴史的な背景があります(調べてみて下さい)。
お金に限らず、私たちの周りにあるモノにはそれぞれ、長短の差はあれど歴史があります。モノは歴史の中で、形を変えたり存在意義が変わったりして今のモノがあります。そしてこれからも変わっていくでしょう。私たちはモノの意義を理解し、活用して初めて”生活してる”と言えるのではないのでしょうか?
紙という物質で何故、食料が買えるのか。学校では歴史を通じてモノの見た目だけでなく、これまでの人々が培ってきた考え方という財産について教えているのです。
地理
地理が私たちの生活に関わる部分と言えば、やはりまずは旅行でしょう。
国内・国外問わず、地理によって諸地域の基礎知識があるか否かによって、旅行における経験・体験は大きく異なりうるでしょう。
例えば私が京都に旅行をした時に、何度もお世話になっている、とある非常に安価ながら環境も悪い宿に泊まったのですが、ここには一つ問題があり、扇風機はあるものの冷暖房がないのです。そして、この時は真夏でした。
最初の夜に、私は思いました。「ここでは旅は続けられない…」
何故なら、あまりにも暑すぎてどうにも眠れそうになかったのです。
そして、同時に小学生の頃の社会の授業を思い出していました。「盆地は夏は暑くて冬は寒い」と。
ずっと前に既に習っていたのに…。でもまさかここまでとは…。などと後悔の念を抱きながら、次の晩からは違う宿へ移りました。
このように旅行先の地理的な条件・気候・環境を予め知ることや予測することができれば、旅行中の時間や体力をムダにすることが防げます。
また、地理によって国内外の諸地域についての知識を得ることで、各地への興味・好奇心が湧いて、旅行のそもそもの動機になったりすることもあります。自分の世界を広げるために、地理の知識はとても有用と言えるでしょう。
公民
現代社会
現代社会については文字通りです。私たちの暮らす現代の社会について、全般的に学ぶ教科ですから、生活に非常に近い部分の内容となっています。
環境問題に始まり、現代社会における個人などのテーマにも触れつつ、さらには憲法や経済、国際社会における問題なども含む、現代社会に関する全般的な内容を広く学びます。
広範な内容ですから、一種の「常識」的な部分も多く含む教科であると言えるでしょう。
倫理
倫理においては、古代の思想から始まり、宗教や哲学、ひいては現代の世界・社会の状況におけるまさに「倫理」についての問題を取り扱います。古今東西の様々な思想を学びます。
個人的に印象深くよく覚えているのは、ジョン・スチュアート・ミルの「多数者の専制」という概念です。
これは、多数決による意思決定は少数者の権利を剥奪することになりうる、というもので、ごく簡単なケースで言えば、三人でゴミ出しをする人間を決める時に、Aが「多数決にしよう!Cがやるのがいいと思う人!」と言ってAとBが手を挙げた時、これは確かに多数決で民主主義的かもしれませんが、単にCの権利を奪っているだけです。
確かに、このケースにおいてはより多くの人の意見が通っていると言うことはできます。しかし、これはそういう合理性を主張するべき問題ではなく、まさに「倫理」的かどうか、道徳的かどうか、という地平で考えるべき問題です。
倫理は、思想家たちや思想上の概念の名前と意味など、覚えなければならないことは多い教科ですが、単なる暗記科目としてでなく、何故その思想家たちはそう考えたのか、その考えの理由や流れなどを考え、理解することやそれを考える経験は、試験対策などの枠を超え、自分の人生における様々なことを考える際に答えを導き出す道標となるはずです。
政治・経済
政治・経済に関しても、私たちの生活する社会に直結している問題です。
日本の憲法の内容や、日本の政治制度とそれへの参加について、国際政治の状況、といった政治に関する内容から、日本の経済のこれまでの歩みと現代日本の経済状況、そして国際経済について、といった内容です。
自分のいるこの国は、社会はどのようなものなのか、どういった仕組みのもとに成り立っているのかであったり、自分の持っている権利はどのようなものがあるのか、何が許されていて何が許されていないのか、或いは、今起きている社会問題を理解したり、それに対して自分ができることはなんなのか、など非常に実際的なことを考えるのに、有意義な内容と言えるのではないでしょうか。
英語
英語は誰しも『話せる様になったらいいな』と思うものではないでしょうか?
文部科学省によると、中国語を母語にする人口は8億8500万人で、英語を母語にする人口は4億人です。
その後、スペイン語、ヒンディー語などが母語人口のランキングに名を連ねます。
一方、日本語を母語にする人口は約1億2500万人です。もちろんその殆どが日本人です。
また、日本語は外国人にとって学習難易度が高いこともあり、第2言語として選択する人は少ないです。
日本語だけではなく、英語や中国語が話せる様になれば、より多くの人とコミュニケーションをとることができます。また、言語の壁を気にせずに海外の文化を肌で感じることができます。そして、商売をするときも、顧客の数が日本だけでなく、世界に広がります。
中国は力をつけていますが、未だに発展途上です。しかし、アメリカやEU諸国の経済力は世界でも上位であることは間違いないです。
また、中国語が母語として話されている地域は、中国、台湾、シンガポールといった国々で、英語のように広範とは言い難く、学習者も未だ英語ほどは多くはないと言えるでしょう。
つまり、英語を学ぶことで、経済力のある国の人たちと言語の壁を感じずに対話することができます。
体育
学生の頃にどれだけ体を動かしたかで、成人すぎてからの体型には大きく差が生まれます。『20歳を過ぎると、体力が落ち始める』と言う人がいるくらいに、20歳以降になると運動する機会が激減します。
ここで重要なのは、筋トレをしていたかどうかです。筋肉が付いていると以下のようなメリットがあります。
- 太りにくい身体になる
- 疲れにくい
- 集中が続く
また、長距離走などの筋肉がつきにくい運動をしていた場合も精神力が大きく鍛えられます。
学生が義務で体を動かす期間は、小1~高3までの12年間です。その期間で、筋トレをしない、あるいは運動する習慣がついていないと、太りやすい身体になるので(詳しくは生物学を勉強しよう)成人後に食べたいものが食べれない体になってしまいます。
つまり、運動をする習慣をつけることで、美味しいものをいつまでも食べることができます。
家庭科
家庭科は裁縫や料理などを行う科目です。料理に関しては、私たちが毎日必要とすることなので特に重要です。
カロリーのある栄養素は全部で4つです。
- 炭水化物 1gで4キロカロリー
→お米やパンなどの主食 - タンパク質 1gで4キロカロリー
→肉や魚、卵や乳製品、大豆などの豆類 - 脂質 1gで9キロカロリー
→肉や植物の油 - アルコール 1mlで7キロカロリー
→お酒
普段の食事に上記の栄養素がどのくらい含まれているのか。また、自分はそれぞれの栄養素をどのくらい摂取する必要があるのかを知ることができます。
つまり、家庭科を学ぶことで、自分の身体を健康に維持する食事の計画を立てることができます。
技術
技術科では、設計や電子工作の基本などを学びます。技術科目は電子機器に慣れるための入り口です。技術科を学ぶかどうかで、パソコンなどの電子機器に慣れる早さが変わってきます。
ITが発展し、今日ではIoT(Internet of Things:モノのインターネット)というものが発達しています。
IoTは日常にもっと機械を取り込んで、生活をもっと快適にしようよ!という考え方に基づいています。
電子機器に疎ければ、今後快適になっていく世の中の流れに遅れてしまいます。
つまり、技術科を学ぶ意味は今後の日常生活を快適に過ごすために必要な知識を得ることです。
音楽
音楽は、文化を音という形で耳に伝えるものです。
古来から、音楽には人が集まりました。「楽」という漢字は本来は音楽を表すためのものでしたが、音楽が楽しいために「楽しい」という意味を持つようになったのです。
地域や人の趣味・嗜好・文化の違いによって音楽は異なります。
学校で学ぶ音楽は、クラシックを中心とした鑑賞を行ったり、音符の読み方を学んだり、歌を歌ったり楽器を演奏する練習をします。そこで、音の抑揚やリズム感を養います。
音楽科目は、楽器を演奏するときのリズム感やカラオケでの音程調整を行うための練習になる科目です。
また、音楽の歴史を学ぶこともします。これを学んでいないと、現代の流行の音楽ばかりを聴くことになりかねませんが、過去の音楽を聴くことで、現代の音楽を相対化することもでき、どのような流れ・道筋で現代の音楽が成り立っているのかを垣間見ることができます。
つまり、自分が今聴いている音楽の良さや特徴、新しさを再発見することもできるのです。
美術
美術は絵を描いたり、彫刻をしたりといった作品を作ることがメインの科目です。これにより美的センスを養うことができますし、手先の器用さも高めることができます。
これを通じて、色使いやバランスを理解しファッションのコーディネートやメイクのバランス、部屋の家具配置などを考えることができます。
また、鑑賞も美術科の重要な内容の一つです。
「絵なんてパッと見て良さがわかればいい」なんて考え方もありますが、その作品・作者がどのような時代に生きたのか、作品にはどのような背景があるのか、ということを理解した上で鑑賞することで、その作品の味わいは大きく変わりえます。
例えば『クリスティーナの世界』という絵画をご存知でしょうか?
(ニューヨーク近代美術館)
この絵は、草原で女性がくつろいでいる絵ではありません。
その背景を知った上で見れば、細部にも様々な書き込みがされていることに気づき、作品の印象や深みは大きく変わってくるでしょう。
(参考:クリスティーナの世界)
まとめ
以上、10教科、細かく分ければ19教科にわたって、学ぶ意味を洗い出してみました。
確かに、全ての人が、全ての科目を、完全に学ばなければならないか、と言われれば難しいかもしれません。
しかし、それぞれにしっかりと、学ぶ意味があるのだということは理解していただけたでしょうか?
教育委員会も、何も学生への嫌がらせで勉強させているわけもなく、もちろん必要があるから学ぶべきとしているわけです。
それを「勉強させられている」という感覚でなく、意味があって、その先には興味深い世界が広がっているのだということが少しでも伝わり、日々の勉強に楽しみを見出していただければ幸いです。
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